節分の後、残った食材を戻す場所
今朝の体重は64.9kg。節分の前後は売り場の雰囲気がいつもと違い、家にも普段は置かない食べ物が少し増えた。今日はその残りを確認してから、台所を普段の並びへ戻した。行事の食事をなかったことにする必要はないが、そのまま何日も何となくつまみ続ける状態にはしたくない。
残っていた豆は小皿に出す分と、しまっておく分に分けた。袋が開いたまま見える場所にあると、通るたびに手が伸びる。机の引き出しへ隠すのではなく、食材の棚で場所を決めた。食べる時は皿に出して座る。以前から試している小さな決まりだが、量を細かく計算するより、食べた時間を覚えやすい。
昼はごはんと納豆、豆腐とねぎのみそ汁にした。行事の翌日に特別な献立を組むのは面倒なので、いつもの材料があると助かる。温めたごはんの包みを開け、鍋を火から下ろして、器へよそう。こうした手順を繰り返していると、普段の食事へ戻ることに大きな決意はいらない。食べ終わると、食卓もすぐ空いた。
食事の写真を並べて見ると、似たような皿がずいぶん続いている。以前はそれを見て、もっと変化をつけるべきかと考えた。今は、用意しやすい食事が決まっていることも自分の生活の特徴として受け止めている。ただ同じだから安心、と決めるのではなく、食材の種類が少なくなっていたら次の買い物で少し足す。
サプリメントも、その食事を補う範囲で使っている。食べるものを整えながら不足を補う形が、自分にはいちばん続けやすくなってきた。何かの行事で普段と違うものを食べても、使い方を変えて帳尻を合わせようとはしない。食事の内容を見て、いつもの管理を続ける。今のところ、その静かな扱いが自分に合っている。
午後はキャベツを半分だけ切った。全部を千切りにすると使う料理が偏るので、細いものと大きめのものに分けた。大きい方は夜の加熱用にする。買い物から帰った直後にここまで済ませる日もあれば、今日のように食べる前に手を動かす日もある。準備の曜日を決めるより、できる時に一食分進める方が続いた。
夕方、日が少し長くなったことに気づいた。まだ寒いが、外が明るい間に歩きに出られる時間が増えた。遠くまで行くことは考えず、用事のある道を歩いた。途中の店で温かい飲み物を買い、帰宅してからゆっくり飲んだ。飲み物の時間も休憩として座るようにすると、立ったまま台所をうろうろすることが少なくなる。
夜はツナとキャベツをフライパンで温め、ごはんと合わせた。味つけを足す前に一口食べると、ツナの味で十分なところもあった。毎回調味料を同じだけ入れなくてもよいらしい。料理を上達させるというほどの話ではないが、自分が食べるものを確かめる時間になった。残りは翌日使う分だけ分けた。
体重が六十四キロ台になると、数字の並びが変わって少し目に留まる。それでも今日一日で急に体が変わったわけではない。特別な記念に食事を減らすことも、逆に気を緩めたことにする必要もないと思う。測った時の数字をそのまま書き、今日の食事と散歩を残した。見出しになるような出来事がない日でも記録は続く。
切ったキャベツを入れた容器には、ふたをする前に一度水気を確かめた。前に急いでしまい、底にたまった水が気になったことがある。今日は食卓を拭く間にざるへ置き、少し待ってから移した。待つ時間を無駄に感じず、別の小さな作業へ回せるようになったのは最近のことだ。すぐ完成させようとすると何度も手を止めるが、一食の流れとして考えると急がなくて済む。ざるを洗うところまで続けて終えた。
棚の上が片づき、開いた袋が一つ減った。明日は残ったねぎをみそ汁に使うつもりだ。行事の楽しみが終わって、いつもの食材がまた台所の中心に戻っている。その切り替えが自然にできたことは、去年より慣れた部分かもしれない。冷蔵庫の扉を閉める前に、豆腐が残っていることだけもう一度確かめた。
