春のキャベツを最後まで使う週末
朝の体重は68.7kgだった。今日は買ってあったキャベツを使い切るつもりで、冷蔵庫から取り出した。切り口が見えるように包み直しておいたので、残りの量がすぐ分かる。食事は一日二食が基本で、何日も同じ食材が登場する。飽きない工夫を大きく考えるより、残っている部分に合う切り方を選ぶところから始めた。
外側の葉は細めに切ってみそ汁へ入れた。芯に近いところは薄く切り、先に鍋へ入れて少し長く温める。以前はかたい部分をよけて、そのまま使う機会をなくすことがあった。今日は包丁を出したついでに分けておいたので、食べる直前に迷わず済んだ。柔らかくなったキャベツを口にすると、同じ一枚でも使い方でずいぶん印象が変わる。
一食目には、そのみそ汁とごはん、納豆を並べた。皿を増やす余裕がない日でも、汁物の中に食材を入れておくと準備が短くなる。ただ、便利だからといって何でも一度に鍋へ入れると、味がぼんやりする。今日は豆腐を少し加えるところまでにした。食材をたくさん使ったかどうかより、最後まで普通においしく食べられたことを日記に書く。
食後、残りの葉を夕食用にちぎった。昼と同じ細切りにはせず、大きさを少し残す。冷蔵庫にはツナもあるので、夕方には温めて合わせれば一皿になる。材料を途中まで整えておくと、食事の準備が一度で全部終わらなくてもよいと分かる。昼の片づけと一緒に数分使っただけで、夜に包丁とまな板を出すか迷う時間がなくなった。
午後は台所の窓を少し開けた。寒い時期より水仕事が苦にならず、流しの周りまで拭く気になった。季節が変わると、生活の細かな面倒も変わるのだと思う。冬にできなかったから怠けていたと決める必要はないし、今日できたことを毎日の最低限にする必要もない。床に落ちた葉を拾いながら、その時にできる範囲を続けるほうが長持ちしそうだと考えた。
以前、食事を簡単にしようとして、同じ物だけで何日も済ませようとしたことがある。買い物が楽になる一方で、食べる前から飽きてしまい、別の物をまとめて食べたくなった。今の食事も材料は似ているが、温めるか、混ぜるか、汁に入れるかを変えている。細かな違いでも、自分にはそのほうが気楽だ。続けやすさは、献立の名前の数だけでは決まらないように思う。
冷蔵庫へしまう前に、葉の残り方も確認した。外側から一枚ずつ使う日と、切った半分を使う日では、最後に残る部分が違う。今回は芯に近い部分まで使えたので、次に同じ量を買った時の見通しになる。料理の種類を増やす前に、自分が普段どの順番で食材へ手をつけるかを知っておく。買った時には大きく見えた半分のキャベツも、今日で空になった。
夕食では、昼にちぎっておいたキャベツを蒸すように温め、ツナを加えた。味付けはいつもより薄くして、最後にこしょうを少し足した。ごはんを温めている間に皿ができ、食卓に座るまであまり待たなかった。残り物を片づける食事という感じはなく、普通に一食として食べられた。食べ切るために無理に大盛りにせず、ちょうど使い切れたのもよかった。
夜の記録では、食べた量の横に「切り方を変えた」と書いた。こうした小さなことは、書かないとすぐ忘れる。次に同じ食材が余った時、凝った料理を検索する前に今日の欄を見ればよい。体重の数字だけが並ぶページでは、この程度の工夫は残らない。日記を食事のメモと一緒にしているのは、数字が動かなかった日にも読むものを残したいからかもしれない。
空になった野菜の包みを捨て、冷蔵庫の棚を軽く拭いた。次に何を買うかはまだ決めていないが、今あるものを使い切ったので、棚の奥まで見える。今日は体重が少し下がったことと同じくらい、食材を気持ちよく使えたことが残った。派手な変化はない。週末の台所が片づき、明日の食事を考える場所が少し空いた。

