使う器を決めると、食事が始めやすい
今朝の体重は67.0kg。年明けに記録を始めた頃より、少しずつ数字が変わってきた。今日は体重の一覧を眺めたあと、食器棚の手前を整理した。毎日使う器が決まっているのに、奥の皿をよけて取り出すことがある。食事の内容を考える前に、使う物へすぐ手が届くようにしてみた。生活を整える話が、また台所の小さな場所へ戻ってきた。
一食目はごはんと納豆、豆腐を入れたみそ汁だった。茶わんと汁わんを出すところはいつもと同じだが、今日は重ねた皿を持ち上げずに済んだ。ほんの数秒の違いでも、手がふさがっている時には楽だ。納豆の器も手前にあるので、食卓へ出す物が一度でそろった。新しい食器を買わなくても、今ある物を並べ替えるだけで使いやすさは変わる。
食べ終えてから、使っていない大きな皿を棚の上へ移した。処分するかどうかまで一度に決めると時間がかかるので、今日は位置を変えるだけにする。普段使う浅い皿、小鉢、茶わんを見えるところへ戻した。料理に合わせて器を毎回選ぶ楽しさもあるが、急いでいる日は選ばずに済むことが助かる。全部を同じ形にそろえるのではなく、普段の手順へ合わせた。
記録を始めた頃は、食事を整えるなら違う料理を覚えたり、特別な道具を用意したりするものだと思っていた。実際には、ごはんを保存する、食材の残りを見る、食べる時刻を先に考えるといったことを繰り返している。目新しさは少ないが、食事を用意できない夜は前より減った気がする。何をしたかをノートに残していなければ、その変化も曖昧だったと思う。
午後には、使う予定のキャベツを出して量を確認した。夕食ではツナと合わせ、別の小鉢に豆腐を添えるつもりだ。皿がすぐに出せるので、どの器に入るかも想像しやすい。料理を始めてから器を探し、思ったより大きな皿へ盛ってしまうことがあった。今日は食べる分を考えてから準備できた。器が小さければ必ずよいという話ではなく、普段の一食が見えることが助かる。
夕方には短く外へ出た。暑さはまだ残っているが、道の影の長さが少し違って見える。遠回りをせず用事だけ済ませ、戻ってから水を飲んだ。歩くことにも、毎回新しい目標を足さなくなった。家の用事と食事を普通に続けられる範囲で動く。体重が下がった日だから頑張る、上がった日だから長く歩くという考え方からは、少し距離を置けているように思う。
夕食は予定していた二つの皿と、ごはん、みそ汁にした。食卓の上がいっぱいにならず、それぞれの料理へ手が届く。食べ始めてから調味料を探しに戻ることもなかった。食事は基本的に一日二食で、主な材料も大きく変わらない。その単純さが退屈に感じる日もあるが、今日は迷わず始められたことがよかった。いつもの器があると、食事の形を作りやすい。
片づけの時には、洗った器が戻る場所も決まっていた。以前は空いているところへ重ねて、次の日にまた探していた。今日から毎回きれいに並べられるとは限らないが、少なくとも戻す先はある。食べる準備を楽にするには、片づける時の置き方も続いているのだと分かった。台所で同じ動作を何度もしているからこそ、少しの変更が次の食事へそのまま響く。
夜、八月の記録を読み返した。食べた物の名前は似ているのに、暑くて作りたくなかった日、夜の時間を見直した日、今日は器を並べ替えた日と、文章には違いが残っている。体重が毎回きれいに下がるわけではないが、数字以外の記録があると、その日の意味を無理に探さずに済む。何が便利だったか、どこで面倒になったかを読めれば、次に使える。
食器棚を閉める前に、明日の茶わんが手前にあることを確かめた。今日の整理はそれで終わり。残りの棚まで一度に片づけようとせず、今使いやすくなった場所をそのまま使ってみる。日記にも、食器を買ったのではなく配置を変えたと書いた。いつもの材料で二食を作る生活に、また小さな手がかりが増えた。明日はまず、その茶わんを出すところからになる。
