台所の道具を少しだけ減らした
朝の体重は62.7kg。今日は流しの下に入れていた調理道具を出して、よく使う物だけ手前へ戻した。料理の内容は簡単なのに、準備のたびに道具を探している気がしたからだ。特別な片づけを始めるつもりはなかったが、ボウルを一つ取り出すために三つ動かしたところで、少し見直したくなった。台所で立ち止まる理由を一つ減らせれば十分だった。
毎日使うのは、小さな鍋、包丁、まな板、混ぜるためのボウルぐらいだ。食事を整え始めた頃は、便利そうな道具があると料理も続くと思っていた。実際に役立った物もある一方、洗う手間が気になって使わなくなった物もある。今日は捨てるかどうかを急いで決めず、出番の少ない物を奥へ移した。それだけで、必要な鍋が片手で取れるようになった。
昼はごはんと納豆、豆腐を入れたみそ汁にした。キャベツは包丁で細かく刻まず、大きめに切って汁物へ加えた。小さな鍋がすぐ出せるので、作るかどうか迷う間がなかった。こういう違いは献立表には出てこない。料理の手順を覚えていても、その前に物をどける作業が続くと面倒になる。手が届く場所に道具を置くことも、自分には食事の準備の一部らしい。
一日に二食という形は、夏もほぼ変わっていない。毎回全部を手作りするとは決めておらず、冷凍したごはんや缶詰にも頼っている。以前は簡単に済ませた食事を記録すると、どこか手を抜いたように感じた。今は同じ物でも食べて片づけられたことを残す。食事の支度を続けるなら、力を入れる日と簡単に終える日の両方が必要なのだと思う。
片づけの途中で、以前作った細かな食事表が出てきた。曜日ごとに違う料理が入り、買い物の品数も多い。あの頃は献立に変化がないことを気にしていた。今日は紙を見ても、同じ形に戻したいとは感じなかった。ごはんとみそ汁を土台にして、その日ある食材を使う。自分の生活に残ったのは、考えることを少なくしてくれるほうの方法だった。
食卓で使う器も、いつもの組み合わせを手前に並べた。料理ごとに器を選ぶのは楽しい日もあるが、今日はすぐ出せるほうがありがたい。似た大きさの物を重ね直すと、下の一枚を抜くときに気を使わずに済んだ。道具だけでなく、食卓までの動きも少し簡単になった。料理ができてから探し物をしなくてよい状態は、普段の二食には思った以上に役立ちそうだ。
午後は使わなかった道具のほこりを拭いた。片づけも動いたうちに入るのかと一瞬考えたが、今日の目的は運動量を作ることではない。必要な場所を整えた、とだけ書いておいた。最近は何をしても体重の変化に結びつけようとする癖が少し減った。買い物も掃除もそれぞれ暮らしの用事で、その結果として一日が動いている。その見方のほうが気楽だ。
夜はツナとキャベツをボウルで合わせ、ごはんと冷ややっこを並べた。使った道具はすぐ洗い、乾かす場所に置いた。前なら流しの中にほかの道具が残っていて、洗う前に並べ直していた。今日はその作業がなく、食後の台所が早く静かになった。料理の品数を一つ増やすより、こうした終わりやすさが続ける助けになる日もある。夕食のあとに少し余裕が残った。
棚の奥へ移した物は、しばらくそのまま様子を見ることにした。使う機会があれば出せばいいし、なくても今日すぐ結論を出す必要はない。生活習慣を変えるときも、全部を一度に入れ替えようとすると迷いやすい。手前だけ変えて使ってみるくらいなら、合わなかったときに戻せる。食事を見直す中で覚えたそのやり方を、今日は台所の収納にも使えた。
夜の記録には、体重と二食の献立、それから小鍋がすぐ出せたことを書いた。数字だけ見ればいつもの日だが、明日も同じ場所から道具を取れると思うと、支度が少し軽い。新しい料理や方法を覚えなかった日にも、残るものはある。空いた棚の一角を何かで埋める予定はない。必要な物を取り出しやすい、この状態のまま次の一食を作ってみる。
