食事の写真を、撮り直さないことにした
体重は59.5kg。今日は最初の食事の前に、皿を並べたところを一枚撮った。ごはん、納豆、豆腐とねぎのみそ汁。よく似た写真が何枚も続いているが、それが実際の食卓なので仕方がない。写真のために一品増やさず、傾いた茶碗もそのままにした。温かいものを温かいうちに食べるほうを優先したい。
食事の写真をつけ始めた頃は、記録が見やすくなると思っていた。実際には、背景の物を片づけ、光の当たり方を気にして、なかなか箸を持てないことがあった。何を食べたかわかればよいのに、だんだん別の作業になっていた。最近は一度撮って終わりにすると、食事と記録の間にちょうどよい距離ができている。
今日は昼の食事が少し遅くなった。空腹のまま盛りつけを直していると、余計に落ち着かない。写真を撮ったらすぐ食べ、食べ終わってから味のことを一言書いた。みそ汁のねぎが多めだったこと、ごはんは温め直してもちょうどよかったこと。画像だけでは残らない部分を、短い文章で足すくらいが今の自分に合う。
過去の写真を見ると、野菜だけが大きな皿に盛られている時期があった。ごはんを減らそうと考えていた頃だ。見た目には量があるのに、食べたあとも何か欲しかったことを覚えている。今の写真には普通に茶碗が写っている。何かをなくすより、一日二食を落ち着いて用意する形に戻ってきたことが、並べるとよくわかる。
写真に残せなかった食事もある。外で食べた日や、食べ始めてから思い出した日だ。以前なら記録が欠けた感じがしていたが、今は文章で書けばよいと思っている。写真がないから食事まで数えなかったことにはしない。完璧な記録を一週間作るより、雑な日を含めて何か月も読めるほうが、自分には意味がある。
昼の写真には湯気が少し写っていた。画面を見ている間にもみそ汁は冷めていくので、今日は画像を確かめずに食べた。写りが悪ければ、あとで料理の名前を足せばよい。食べる前に記録を完成させようとしないことで、箸を持つまでの時間が短くなった。写真の中の食事と、今目の前にある温かい食事なら、自分には後のほうが大切だった。
午後に外を歩いたとき、道沿いの花を撮ろうとして一度立ち止まった。こちらは何枚か撮ってから一枚を選んだ。食事の写真まで同じようにする必要はない。残したいものによって撮り方が違ってもよいと思うと、変に統一しなくて済む。散歩の途中で見た花の色だけは覚えておきたかったので、少し時間を使った。
夕食にはキャベツとツナを温めて一皿にした。豆腐は切って小鉢に入れ、ごはんを添えた。今日は皿数が多くなったので、写真の枠に全部は入らなかった。それでも端の小鉢を無理に移動させず、見えている分だけ撮った。何を食べたかはあとで書き足せる。食卓が記録用の配置にならないだけで、食べ始めるまでが随分短くなる。
食後に写真を見返したら、昼のほうは少し暗かった。明るく直すこともできるが、今日はそのままにした。時刻と献立がわかれば十分で、画像の色を整えたから生活が整うわけではない。自分がどこに手間をかけたいのか、時々確認する必要がある。今日は洗い物を早く終わらせ、そのあとの時間をゆっくり過ごしたかった。
体重と写真を同じ日に並べても、その一食が数字を動かしたという読み方はしないようにしている。数日前の食事、外出、眠り方など、日々の記録はもっと長くつながっている。説明できないところを残しておいてもよい。今日は「食事の前の作業を短くできた」と書いた。数字以外にも、記録しておける変化はある。
夜に画像を一つの場所へまとめ、使わない撮り直しの写真を消した。一食につき何枚もあると、あとから探すのが面倒になる。必要な一枚と短いメモだけにすると、その日の食事がすぐ見つかった。記録を増やすことより、読み返しやすい形を残すこと。次に食事を撮るときも、茶碗を持つ手を長く止めないようにしたい。

