雨の日の夕食と、少し戻った数字
朝の体重は57.8kgだった。前の記録より少し上がったが、ノートにはそのまま数字を書いた。数日前は外で食べ、昨日は夕食の時刻も遅かった。今日の数値が何によるものか、細かく決めつけるつもりはない。窓の外は朝から雨で、地面に落ちる音がよく聞こえる。体重を量り直すより、濡れた傘をどこで乾かすか考えて一日が始まった。
一食目はごはんと納豆、それに前日の汁物を温めた。鍋の中身が少なかったので、豆腐を足して仕上げた。残り物を無理に一回で食べ切ることも、体重を見て急に量を減らすこともせず、今日は普段の食事を用意した。食べ終えたら食器を水につける。こうした手順に戻れるようになったことのほうが、小数点の違いより自分には大きい。以前なら何を変えるべきかと朝から迷っていた。
雨の日は家の中で過ごす時間が長くなる。いつもより動いていない気がすると、夕食も軽くしなければと思った時期があった。実際には予定が変わるたびに献立を修正するのが面倒で、最後には適当につまんで終えることもあった。今は家にいる日も食事を食事として用意する。空腹のまま台所を何度ものぞくより、一度座って食べたほうが落ち着く。今日の午後もその形で過ごしていた。
夕方、冷蔵庫のキャベツを見て、今夜はうどんにすることにした。いつものごはんを別の主食に替える程度の変化だ。きのこをほぐし、キャベツは芯に近いところを薄く切った。鍋に入れるとかなりの量に見えるが、火が通れば小さくなる。卵も一つ落とし、器を温めておいた。湯気が立ち上ると台所の窓が少し曇った。外の雨音と鍋の音だけで、静かな夕方になった。
麺を食べるときは、以前ほど重さや順番を気にしていない。主食を避けようとしていたころ、麺類を選んだだけで予定を外れた気がした。今振り返ると、自分で作った決まりのほうが食卓より存在感を持っていた。今日のうどんは温かく、具も食べられて、後片付けが少ない。そういう現実的な理由で選んだ。食べ終えた器を流しへ運んだときには、朝の数字も頭から離れていた。
不足が気になる栄養をサプリメントで補う習慣は、普段通りに続けている。ただ、外食の翌日に増やしたり、食事の代わりに使ったりはしていない。自分には、食事の土台を決めたうえで補う形が管理しやすかった。何かを飲めば昨日の食事が変わるわけではない。台所にあるものを食べ、次の買い物で少し種類を増やす。その地味な流れに添えるぐらいが、今の扱い方に合っている。
夜には雨が弱くなり、買い物へ出るか少し迷った。足りないものは特になかったので、今日は見送った。歩数が少ないままでも、一日の終わりに埋め合わせる予定は入れない。代わりに床に置いていた荷物を片付け、傘の水気を拭いた。運動をしたというほどではないが、部屋が少し広くなった。動く理由が全部体重と関係している必要はない。暮らしの用事だけで体を使う時間もある。
片付けの途中で、昔の食事記録の印刷物が出てきた。増えた日に赤い丸がついていて、その横に長い反省が書かれている。何を食べたかより、自分をどう評価したかが目立つ紙だった。捨てる前に少し読み、当時は一生懸命だったのだと思った。今のノートには赤い印を使っていない。下がった日も上がった日も同じペンで書く。それだけの違いで、開くときの気持ちがずいぶん変わった。
入浴後、明日のごはんを冷凍庫から確認した。あることが分かれば、それ以上献立を考えなくてよい。気温が下がったので薄い長袖を出し、寝る前の飲み物を温かいお茶にした。秋に合わせて変わることは、体重のほかにもいくつもある。今日の日記には、うどんの具と雨で出かけなかったことを書いた。増えた数字を説明するためではなく、どんな日だったか残すための記録だ。
夜になっても57.8という数字をもう一度確かめることはしなかった。明日以降も普段の食事を続けながら、しばらくの様子を見ればよい。何も起きていない日に大きな対策を立てるのは、自分には疲れる。雨の日に温かい夕食を作って、部屋を片付け、眠る準備までできた。今日書き残す内容はそれで足りている。ノートを閉じ、干していた傘の向きを変えてから部屋の明かりを落とした。
