遠回りは、歩きたい日にだけ
今朝の体重は57.3kg。体重計を片付けて窓を開けると、外の風が思ったより涼しかった。十月も半ばになり、日なたと日陰の温度が違って感じられる。今日は買い物の帰りに少し遠回りした。歩いた時間を細かく計ったわけではなく、通りたい道があったから選んだ。帰ってきてから水を飲み、買ったものを冷蔵庫にしまったところで、日記に散歩と一行書き足した。
出かける前の一食目は、温めたごはんと納豆、きのこのみそ汁。豆腐は夜に使うつもりだったので、今日は汁の具を増やしすぎなかった。食材の使い道を一つ先まで考えておくと、夕方の自分が助かる。何食分もきっちり組んでおくほどではない。このぐらいなら予定が変わっても面倒にならない。一日二食の基本は同じでも、その中身まで固定しないほうが今の自分には続けやすい。
外へ出ると、歩道の端に小さな落ち葉がたまっていた。夏は日陰だけを選んでいたのに、今日は日なたの道を歩きたくなった。近所でも季節によって気になるものが違う。遠回りした先の通りには金木犀のような香りがして、少し立ち止まった。何の木か確かめるところまではせず、そのまま店へ向かった。こういう寄り道をする余裕がある日は、歩数を数えるよりよく外を見ている。
以前、毎日決まった時間を歩くと決めたことがあった。最初は予定表が埋まるのが楽しかったが、雨の日や用事の重なった日に困った。次の日に二日分歩こうとして、買い物が終わっても帰れないような気分になったこともある。続かなかった理由を気合いの不足と考えた時期もあった。今は、生活に合わせにくい決まりだったのだと思っている。歩くことまで嫌になる前に外せてよかった。
スーパーではキャベツとツナ缶を買った。缶詰の棚を見ながら、切らさず置いておけるものの便利さを思う。新鮮なものを毎日買いに行ければよいが、いつもそうできるわけではない。食事の準備を全部その日の気分と買い物に任せると、疲れたときに手が止まる。棚に戻れる材料があるだけで、献立は組み立てやすくなる。今日はそこに旬のものを一つ足すぐらいの買い物だった。
帰宅後は少し空腹だったので、小さなみかんを食べた。散歩した分だけ特別なものを食べようとも、食べたからまた歩こうとも考えない。食事と運動を毎回交換するように扱うと、どちらも数字の話になってしまう。みかんは甘く、手を洗えばすぐ食べられた。袋に残ったものをかごへ移し、皮を片付ける。それで午後の小さな休憩は終わった。体重の記録には書かなかったが、今日の文章には残しておく。
夕食は豆腐に温めたきのこあんをかけ、ごはんとキャベツの和え物を添えた。少し手間をかけたい気分だったので、いつもと味付けを変えた。同じ材料でも食べ方を変えると、繰り返している感じが薄くなる。毎回新しい料理を覚える必要はないが、飽きたと思ったときに小さく変えられると便利だ。買い物で歩いたあとだったことより、今日は何を食べたいかを考えて決めた夕食だった。
サプリメントの扱いも大きく変えていない。食事で足りない部分を補うつもりで使い、食材を減らす理由にはしない。いろいろな方法を試した末に、自分には普通のごはんを食べながら補助を加える形が残った。何か一つが体重を動かしたと分けて考えることはできない。準備しやすい食事や、無理のない外出や、眠れる夜が一緒にある。その中の一つとして置いておくと、管理が複雑にならずに済む。
夜、上着のポケットから店のレシートを出した。歩いた時間は覚えていないが、通った道や買ったものは思い出せる。今日はそれぐらいの散歩だった。足に少し疲れがあるので、明日も同じ距離を歩こうとは決めていない。晴れていて気が向けば外へ出るし、用事があればそのついででよい。次の日の自分に借りを残さないような動き方が、ようやく分かってきた気がする。
日記の最後には「長袖でちょうどよかった」と書いた。数年前の自分なら、歩数や消費した分の計算をもっと気にしていたかもしれない。今は外の空気を吸って、食材を買って、温かい夕食を食べられたことが一日の輪郭になっている。体重もその横にある事実の一つだ。窓を閉めると部屋が静かになった。明日の分のごはんを確かめてから、今夜は早めに休むことにした。

