三年分のノートを、年末に並べてみた
今朝の体重は56.0kg。年内の長い日記は今日で一区切りにするつもりで、これまでのノートを机に並べた。二〇二三年一月の最初の記録には69.5kgとある。三年近くかけて、少しずつ今の数字まで来た。その間ずっと同じ調子だったわけではない。横ばいの月もあり、増えた記録もある。ページを順に見ると、体重より食事や暮らし方の変化が目に入ってきた。
初めのころは、毎食の内容を細かく書いていた。量や時刻まで埋め、空欄があると気になった。何も分からないまま始めたので、書くこと自体が支えだったのだと思う。けれど細かい記録を続けるうちに、食べたあとで入力を済ませることが重荷にもなった。今は朝の体重と、その日気づいたことだけの短いページが多い。必要な情報が自分の中で少し分かってきたのだろう。
主食を減らしてみた時期も、運動の回数を決めた時期もあった。どれも始めるときは長く続くと思っていた。途中で合わないと気づいてやめたものを、当時は後退のように感じた。しかし今の生活は、その試行の中から残した小さな習慣でできている。何が自分に窮屈だったか知ることも、続け方を見つける材料にはなった。過去のページを今の基準だけで採点しなくてもよさそうだ。
今日の一食目は納豆ごはんと豆腐のみそ汁だった。何度も作った献立なので、鍋に水を入れたあとは自然に手が動く。食事は一日二食を基本にしているが、空腹や用事に合わせて間に食べることもある。これを毎日守ったから今の数字になった、と一つに説明するつもりはない。ただ、準備が難しくない食事を持てたことで、食べるたびに方法を考え直す負担は減った。
キャベツとツナ缶が、買い物の定番になったのも途中からだった。日持ちや料理の手間を考えて選んだものが、少しずつ台所へ定着した。いつもそれだけを食べているわけではなく、卵や魚、季節の野菜も使う。外で食べる日もある。基本の形があると、違うものを食べたあとも戻りやすい。その「戻る」が、厳しい決まりへ戻すことではなく、普通の夕食を作ることになったのが大きい。
サプリメントで足りないと思う栄養を補うやり方も、自分には続けやすい軸になった。食事を土台にして、補助を加えるという位置付けだ。これだけで栄養がすべて整うとも、体重が減った理由になるとも考えていない。食材を買い、料理をし、食べる時間を持つことは今も必要だ。いくつも方法を探し回るより、その流れをなるべく簡単に保つほうが、自分の生活には合っていた。
数字を見返すとき、低いほうへ動いたページばかり目で追いそうになる。今日は少し意識して、変わらなかった日の文章も読んだ。雨で買い物をやめたこと、冷凍ごはんが役立ったこと、みそ汁の具を使い切ったこと。何も進んでいないと思った日に、暮らしはちゃんと動いていた。毎日の良し悪しを体重の動きに任せてしまうと、そういう日が記憶から抜けてしまう。残しておいてよかったと思う。
夕食は鍋にした。豆腐、きのこ、白菜を入れ、ごはんも用意した。年末らしい特別な料理ではないが、温かいものをゆっくり食べられた。いまの数字を維持するために何かを削ろうとは考えず、空腹が落ち着くところまで食べる。大きく変わった体重の数字より、夕食を前にして余計な計算をしなくなったことのほうが、毎日の過ごし方には影響している気がする。
来年について、さらに低い体重を具体的な締め切り付きで決めるつもりはない。長く記録したからこそ、数字だけでは分からないことも増えた。服の着心地や眠れた感じ、食後の落ち着きも、自分にとっては暮らしの一部だ。何か気になることがあればその都度見直し、食事の量も生活に合わせて考える。ノートの最後へ新しいノルマを書き足すことはせず、年明けも食べる準備を続けたいと残した。
三冊のノートを棚へ戻すと、机の上が広くなった。最初の69.5kgから今日の56.0kgまで、一本のきれいな線ではないが、自分が過ごしてきた時間として並んでいる。ひとまず今年の記録はここまでにする。明日のために米を確認し、台所のふきんを替えた。振り返りを終えたあとの用事がいつも通りなのも悪くない。次のページに何を書くかは、その日を過ごしてから考えようと思う。
