寒い夜は、鍋の具を少しずつ変える
朝の体重は54.5kg。窓を開けた途端に冷たい空気が入り、すぐに閉め直した。二月に入ってから、夕食は鍋に近いものが多い。簡単で温かいので助かるが、同じ味が続くと少し変えたくなる。今日は冷蔵庫にある材料を見て、汁の味を変えることにした。体重の数字を見て食事を軽くするのではなく、寒い日に落ち着いて食べられるものを考えた。
一食目にはごはんと納豆、それから前日に作ったみそ汁を食べた。汁が少なかったので、お湯と具を少し足して温め直した。冷蔵庫の前で毎回迷わなくてよい献立があるのは便利だ。一日二食を基本にしていると、一回ずつをきちんと用意したい気持ちがある。ただ、品数をそろえることまでは求めていない。温かいものと主食があり、食べ終えたときに落ち着けるか、そのあたりを見ている。
夕食用の鍋には、豆腐、きのこ、キャベツを入れるつもりだった。いつもはみそにすることが多いが、今日はしょうがを入れたしょうゆ味にした。切った野菜を並べると、冷蔵庫の残り物とは思えないぐらい鍋がいっぱいになる。火にかけると量が落ち着くので、途中で様子を見て豆腐を加えた。難しい料理ではないが、湯気の上がる鍋を眺める時間には、食べる準備ができていく実感がある。
最近は、定番の食材だけに頼りすぎないことも考えている。ごはん、汁物、大豆製品とキャベツが多くても、毎回それですべてが済むわけではない。買い物では別の野菜や魚も見て、その日に食べたいものを選ぶ。今日は冷凍していた魚を少し焼き、鍋の横へ添えることにした。基本の形を持つことは、他の料理を入れない決まりを作ることではない。便利さと変化の両方があってよさそうだ。
サプリメントは足りないと感じる部分を補うものとして使っている。食事の中身を考えなくてよくなるわけではないので、買い物の前には冷蔵庫を見る。自分に残ったのは、これを飲めばよいという単純な方法ではなく、普段の食事を準備しながら補助を使う形だった。今はその順番が崩れにくい。棚にある容器を見るより先に、今夜何を食べるかが決まっている。今日も鍋の支度をしてから手元のものを確かめた。
午後は天気が悪く、外出をやめた。家で過ごす時間が長いと、昔は食べる量を減らすことを考えたが、今日は特に変更しなかった。寒いから早く寝たいと思い、夕食の支度を少し前倒ししただけだ。行動が少ない日にも空腹はあるし、食事の楽しみまで消す必要はない。歩けなかった分を夜に取り返す予定も入れない。買い物は明日でも困らず、手元の材料で十分に夕食が作れた。
鍋を食卓へ運ぶと、窓の外がもう暗くなっていた。ごはんをよそい、焼いた魚を皿に置く。しょうがの香りが普段のみそ汁とは違っていて、材料が似ていても新鮮に感じた。食べる途中で湯気を避けながら豆腐を取り、少しずつ冷まして口へ運ぶ。ゆっくり食べようと決めていたわけではないが、温かい料理だと自然にそうなる。途中で味を足さず、そのまま最後まで食べた。
食後はもう少し食べたい感じがあったので、ごはんを少し追加した。朝の体重を思い出してやめるようなことはしない。低い数字が出た日に、その数字を守るため食べるのをためらうと、食卓が落ち着かなくなる。自分が続けたいのは、必要なときに食べて、日常の用事をこなせる生活だ。体重の下がり方だけを見てよい状態だと判断せず、食事の満足感も確かめるようにしている。
鍋を洗うとき、キャベツの芯が少し残っていたことを思い出した。明日は薄く切って炒め物に使えばよい。前もって全部決めなくても、使えそうなものが分かれば準備になる。以前の献立表には、予定から外れた日の書き直しがたくさんあった。今のノートには「しょうが味の鍋」とだけ書いた。細かさを減らしたぶん、また食べたい料理の手掛かりを残せるようになった気がする。
今夜は外の冷え込みが強そうなので、早めに窓を確かめた。体重を量った朝からずっと寒い一日だったが、夕食のあとには落ち着いて座れた。鍋の具を少し変え、ごはんも追加して食べた。それが今日の食事の記録になる。数字の動きから献立の意味を決める必要はない。乾いた食器をしまい、明日のために台所を空けた。温かいお茶を入れ、あとは静かに過ごすつもりだ。
