五十九キロ台でも、昼の茶碗はいつもどおり
今朝は59.9kgだった。数字の頭が変わったので、記録するときだけ少し手が止まった。何度も測り直すことはせず、一回分をそのまま書いた。昨日までと台所の景色は変わらない。冷蔵庫には使いかけのキャベツがあり、冷凍庫にはいつものごはんがある。今日もそれを食べるつもりで、まず鍋に水を入れた。
長く記録を続けていると、区切りのよい数字に目が向く。そこに着いたら急に生活が変わるような気もするが、実際には前日と同じ朝だった。体重を下げるための新しい決まりを、ここで増やすつもりはない。しばらく同じ範囲を行ったり来たりするかもしれないので、次の一回だけで判断しないようにしたい。
昼前の食事はごはんと納豆、キャベツと豆腐のみそ汁。今日はキャベツを大きめに切った。煮て柔らかくなった葉が汁を含み、寒い時期とはまた違う食べやすさがあった。いつもの食材は、味に驚きが少ない。その分、今日は柔らかいとか、前より甘いと感じるとか、小さな違いに気づくことがある。
茶碗を変えれば量を気にしなくなるかと思い、以前は器をいくつか使い分けていた。けれど自分の場合、器の大きさより、盛ったあとで何度も調整することのほうが負担だった。今はいつもの茶碗に普通に盛り、食べている途中の感覚も見る。きれいな形に収めるより、落ち着いて食べ終えるほうへ意識を移している。
午後に棚を整理すると、以前使っていた細かい食事記録のノートが出てきた。一ページの中にたくさんの数字があり、書いた時点では真剣だったことがわかる。それを失敗だったとは思わない。試したから、今はどこまで記録すれば続けられるかがわかった。今日の一言欄には、昼の食事と空腹の感じだけを短く残した。
ノートをしまったあと、食卓の上に残っていた紙類も片づけた。食事をする場所へ別の物があると、茶碗を置くたびに少しずつ端へ寄せることになる。今日は一度全部動かし、使う器だけが並ぶ状態にした。広くなった食卓にみそ汁の椀を置くと、気持ちも少し落ち着いた。特別な食卓でなくても、食べるための場所が空いていることは大きい。
今日は昼過ぎの光が柔らかく、近くをゆっくり歩いた。途中で座れる場所を見つけたが、そのまま通り過ぎた。運動のために歩く日もあれば、考え事がまとまらないから歩く日もある。目的を一つに決めなくてもよいと思うと、靴を履くまでが簡単になる。戻ってから、水を飲んでしばらく窓を開けた。
夕食には豆腐を温め、ツナとねぎをのせた。ごはんとみそ汁も添えたので、食卓はいつもの形に落ち着いた。新しい調理法を探し回っていた頃より、同じ材料で温度や具を少し変える日が増えた。食事を整えるために一日を使うのではなく、日常の中で無理なく食事の時間を作れることが、今はありがたい。
食後に洗い物をしながら、朝の数字をもう一度思い出した。うれしくないわけではないが、もっと減らそうという勢いにはつながらなかった。今日の自分に必要なのは、明日も同じくらい普通に食べることだと思う。記録の区切りは一つ増えたが、献立まで記念に変えなくてもよい。そのまま皿を水切りかごへ置いた。
夜は早めに照明を落とした。最近は画面を見続けると、眠る支度が遅くなる日がある。食事の後片づけが済んだら、台所にもう用事はない。何となく口にするものを探しに戻ることもあるので、お茶を手元に置いて座った。厳しく禁止するより、別の過ごし方を先に用意しておくほうが、自分には自然だ。
今日の最後のメモは「数字の頭が変わったが、食事は同じ」。その一行を残したら、記録帳を閉じた。毎回の変化に大きな意味をつけなくても、後から見れば道筋になる。明日はまた違う数字かもしれない。そう考えておくと、今日の数字を守るために一日を過ごさずに済む。今夜は、洗って乾いた茶碗をいつもの棚に戻した。
