八月の終わり、冷たい皿と温かい汁物
今朝の体重は58.1kg。八月の記録を見返すと、冷たい豆腐とツナの皿が何度も出てきた。暑いからと毎回新しい献立を探すより、食べ慣れた材料の温度を変えて過ごしていたらしい。今日は冷蔵庫を開けたとき、温かいみそ汁も飲みたいと思った。月の終わりでも、夕食はその日の気分から決めることにした。
昼の食事は、ごはん、納豆、豆腐とわかめのみそ汁。汁物は食卓へ出してすぐ飲まず、少し置いてから口にした。熱さが和らぐと、自分には食べやすい。夏の間は温かいものをなくすのではなく、作る順番を変えてきた。今日もみそ汁を先に仕上げ、納豆やごはんを用意する間に少し冷ます流れにした。
一日二食という形には、今も無理を感じていない。ただ、二食にすれば何でも整うという考えではない。何をどう食べたか、食事の間はどんな感じだったかを見ている。今日は昼を食べたあとに落ち着いて過ごせたので、夕方まで次の食事ばかり考えずに済んだ。こういう日の記録は短いが、あとから読むと自分の状態がよくわかる。
午後、食器棚の奥にしまっていた深めの皿を出した。キャベツとツナを混ぜるとき、平たい皿だと端から落ちやすい。大きな調理器具を増やさなくても、器を一つ替えれば済む話だった。買い物で便利そうなものを見る前に、家の中に使えるものがないか確かめてみる。今日は洗うものを増やさず、一皿を作りやすくできた。
キャベツは洗って水を切り、食べる少し前にツナと合わせた。先に全部混ぜておくと水気が出やすかったので、今日は待ってみた。味つけはいつものものでも、仕上がりの感じが少し違った。大きなレシピ変更ではなく、混ぜる時刻を動かしただけだ。何度も作る献立だからこそ、こういう小さい違いを確かめる余裕が出てきた。
八月には、出かける時間をずらした日や、買い物を翌日に回した日があった。全部を予定どおり進めたわけではないが、食事が大きく乱れた感じはない。冷凍ごはんと豆腐、納豆など、戻れる材料があったことは助かった。暮らし方を厳しく管理するより、予定が変わっても用意できる食事を持つほうが、自分には合っている。
夕方は少し風があったので、窓を開けてみた。まだ暑さは残っていて、すぐに涼しくなるわけではなかったが、部屋の空気が動くのは気持ちよかった。台所に立つ前に少し座り、夕食の器を頭の中で並べた。準備を急ぐより、何を出すか一度決めるほうが、その後の動きは短い。今日は二つの皿と茶碗、汁椀を使うことにした。
夕食はキャベツとツナの皿に、温めた豆腐を添えた。ごはんとみそ汁も用意すると、冷たいものと温かいものが並んだ。全部を同じ温度にそろえなくても、食べ進めやすければよい。暑い日は冷たいものだけが正解というわけでもなかった。昼と夜で食べたい状態が違うことを、同じ材料の中で確かめながら食べた。
食後に八月の写真をまとめると、茶碗が同じ位置にあるものが多かった。派手な変化はないが、毎回迷わず食卓を作っていたことは伝わる。体重の記録にも少し戻る日が入っていて、一直線ではなかった。都合のよい数字だけ選ぶと、その月にどう暮らしていたかが薄くなる。今日は撮り忘れた日の文章も、そのまま残しておいた。
夜は食事の支度をした時間と、眠る支度を始めた時間を短く書いた。寝る前に何となく台所へ戻る日が少なかったのは、片づけが終わったことを自分で区切っていたからかもしれない。理由は一つに決めず、気づいたこととして残す。やり方を次々足さなくても、今ある習慣の終わり方を整える余地はまだあると思った。
月の最後に大きな反省や目標は書かなかった。冷たい豆腐が食べやすかったこと、深めの皿が便利だったこと、そのくらいで十分だ。明日も暑ければ今日に近い献立になるだろうし、気分が違えば汁物の具を変える。普通に食べられる形を少しずつ確かめる記録は続いている。洗った皿を戻し、九月の欄にはまだ何も書かずに帳面を閉じた。
