使わない計量器を、引き出しの奥へ
今朝の体重は54.2kg。朝食の支度で引き出しを開けると、最近使っていない計量器が一番手前にあった。邪魔だと思いながら、ずっとそこに置いている。今日は食後に場所を変えることにした。体重を量る習慣は続いていても、食材を毎回量る生活には戻っていない。使わない道具の位置を変えるだけだが、今の台所に合わせる小さな整理になった。
ごはんは冷凍していた分を温めた。納豆を器に移し、みそ汁には豆腐とわかめを入れる。食べる量は毎回ぴったり同じではない。前日の夕食や今日の予定でも空腹は違うので、用意したものを見て調整する。重さを確かめた経験が役立っている部分もあるが、今は数字を出さなくても支度できる。台所で慣れた手つきを一つずつ増やしてきた結果なのだろう。
計量器を手に取ると、細かく記録していた時期のことを思い出した。調味料まで量り、食べたあとに一覧へ入力していた。そのことで量の感覚を知れた一方、料理の途中で手を止めるのが面倒な日もあった。入力し忘れた食事を何日分も思い出そうとして、疲れたこともある。合う部分と合わない部分が両方あった。道具を奥へ移すことが、その時期を否定することにはならないと思っている。
空いた場所には、よく使うしゃもじと菜箸を置いた。取り出すたびに何かをよけなくてよくなる。食事の工夫というと新しい材料や方法へ目が向きがちだが、今日の自分に必要だったのは単純な配置換えだった。台所を使いやすくすると、忙しい日でもごはんを作り始めやすい。続けるために強い意志を用意するより、手を伸ばした先に使うものがあるほうが助かる。少し大げさだが実際そう感じる。
午後は棚のふきんも取り替えた。作業をしながら、一日二食という形も同じように、今の生活へ収まるから残ったのだと思った。何があっても回数を変えない約束ではない。間に何か食べる日も、外で別の時刻に食べる日もある。それで全体が崩れたとは考えないようになった。暮らしに合わせて使える形でなければ、長く残すのは難しい。道具も食べ方も、時々場所を見直してよいのだろう。
食事の足りないところをサプリメントで補うことも、自分には管理しやすいやり方として続いている。種類を増やすことが目的にはならないよう、置き場所を狭くしている。食事の準備を先にし、補助のものはその横に置く。この順番なら、台所の主役が容器の列にならずに済む。今日も棚を拭きながら手元を確かめたが、新しく買うものは決めなかった。今あるものを分かる状態に戻せればよかった。
夕食にはキャベツとにんじんを炒め、ツナを加えた。ごはんをよそうとき、新しい場所に置いたしゃもじがすぐ取れた。ほんの少しの違いだが、手が止まらないのは気分がよい。調味料も味を見ながら加え、今日はそのまま食卓へ運んだ。器を並べたあと、計量器をしまった場所を気にすることはなかった。毎回数値を確認しなくても料理はできるし、必要になればまた取り出せばよい。
体重の数字は、このところ少しずつ動いている。だからといって、食事をさらに細かく管理する理由にはしない。以前は変化が出ると、そのやり方をもっと徹底すればよいと思いがちだった。しかし自分には、続けられる範囲を狭めすぎないほうが合う。食べる量や休み方を見直す余地も残しておきたい。体重が低い日を守るために生活が窮屈になるなら、何のための習慣か分からなくなってしまう。
夕方の片付けでは、期限の近い食材を冷蔵庫の手前へ移した。使いやすい場所に置くという今日の作業が、ここでも役立つ。明日は豆腐から使おうと思うが、料理の形は決めていない。必要なものが目に入れば、そのとき考えられるだろう。毎日全部を計画しなくても、忘れたままにしない工夫はできる。数字の管理を減らした代わりに、食材を見る時間が少し増えたのかもしれない。
ノートには朝の体重に続けて「引き出しを入れ替えた」と書いた。何を食べたかだけでなく、食べる支度をどう続けているかも残っていく。今日奥へしまった計量器は、必要があればまた使う。今の自分には出しっぱなしでなくてもよい、というだけのことだ。台所の引き出しを閉めると、前より軽く収まった気がした。明日も特別な準備なしに一食を作れるよう、最後に流しの水気を拭いた。
